◆思想哲学
思想哲学を旅して最後に開く扉は・・
宗教 (ここは正直に行こう・・)
しかし、ここは難所中の難所、多くの人が道を失い、最高の宗教を見極めることができない。
人間とは? 死とは? この運命は変えられるのか?
この不思議な問題を抱える人間をリードできる教えは、道徳、思想、哲学、科学(心理学)、そして宗教があるが・・・
道徳、思想、哲学は観念的で現実を変革するには弱く、科学・心理学も人間の運命への答えとしては力不足・・
やはり宗教にのみ、人間の運命への答えが残されています。
しかし、答えは観念の中にはなく「実践」の中にあり、
宗教とは、正に実践。
具体的には「感応の働き」によってその神通力を発揮するものでありますから、一歩間違うと人生を破滅させることにもなりますので、宗教を実践する前に「宗教を選択する知識」が必要になります。
しかし、宗教は法人だけでも日本では20万以上、一日一つの宗教を研究できても、
1年で365、
10年で3650、
100年3万6500・・
一生かかっても最高の宗教を選択することは至難の技です。
やはり、「最高の宗教を選択する智慧」が必要になるでしょう。
その最高の宗教には、個人の運命を変える力があるばかりでなく、世界を変える原理も存在します。
そのような、最高の宗教の存在について話し合う機会が多くある中で、創価学会の構成メンバーと討論する場が過去にありました。
最近はこちらから声をかけてもほとんど出てきませんが、ネット上では嘘八百を掲載して自己満足しているという体たらくです。
3年ほど前、京都乃鬼新聞の編集長へ、嘘ばかり述べて自己満足してないでビデオ記録公開法論に出るように要請しても、「創価学会本部から止められている」とのことでダメでした。
また、宿坊と名乗る輩から掲示板などで要請され大御本尊について議論せよというので、「OK、自らの名前と立場を明かしてやりましょう」と提案すると、どうにもダメでした。(彼らの言論の特徴は実名を出さず、正式公開の場を避け、責任を取らない形で嘘・悪口を言うところにある(笑 )
やはり、公場対決に出てこれない宗教というのはダメですね。
政治や暴力を離れて、無血言論で宗教の教えと力について話しあえないと。。
宗教に関してよく「寛容」の必要が言われるが、
最高の宗教について無血言論で話し合える、これこそが真の「寛容」ではないかと思う。
とりあえず。。
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