助っ人は、日本音楽を応援します。
助っ人のhpはこちら

 世界の音楽界の流れから見ると、この二〜三百年の間、世界に君臨してきたいわゆるクラシック音楽は、二十世紀の後半に至ってそのリードする力を失いました。
 クラシックは世界の音楽に影響を与えてはいますが、日没後の残光に過ぎないと言われています。
 その証拠に、クラシックの音楽会ではバッハ、ベートーベン、チャイコフスキー、古典派からロマン派、新古典派ぐらいのところまでしか演奏されていません。
 また、20世紀後半の音楽史はアフリカ系アメリカ人が中心になって創造してきた音楽が大きなうねりとなって世界を席巻しました。 これは、極限まで発展したヨーロッパのクラシック音楽の技法を学び、それを自分達流に使い表現したということでした。
 そして、現在、今まで目立たなかったさまざまな民族の音楽が興隆し、互いにそれぞれの地域に生きる人々の音楽を尊重する時代になってきております。

  ◇21世紀は日本的なものが世界的◇

 21世紀の音楽界の流れは、世界の片隅にあって目立たなかった様々な民族の音楽が、独自の文化を反映させた音楽を持って、世界中央の桧舞台の踊り出てきています。  これは一つには情報伝達の進歩にもよりますが、インドネシアのガムラン音楽、その他モンゴルの音楽をアレンジを替えたり、聴いたこともないような音楽が流れてきています。
 日本でも20年前30年前では聴くことも無かった津軽三味線、沖縄の歌なども興味を持って聴かれるようになってきています。  これは日本だけでなく世界的な傾向です。
 それぞれの民族の、それぞれの地域に生きる人々の文化を大切にして、その独自の音楽文化を尊重しあうという時代がきています。
 つまり、「21世紀は日本的なものが世界的」なのであります。
 そこで、自国の音楽文化、東洋の音楽の根源にさかのぼって考えるために、「東洋楽理序説」を公開します。
 また、私達音楽を作る者、演奏する者、そして音楽を聞く人々にとって最も大切なことは、「音楽とは何か」ということを考えることです、この重大なテーマに対し「新音楽原論」を公開します。
 時間の許す方は、掲示板に感想・意見などをお書きください。




 東洋樂理序説(基本編)<あとがき>より

〜 なんと言っても、音楽のための音楽として大きく進化への第一歩は、純正調から平均 率音楽時代の、バッハの調性音楽だったと言えます。
 本講〈東洋楽理序説〉は、東アジアの十二律純正調の持つ、定則性が楽理的萌芽たり 得るかとの方途に立った、局限的発掘作業だったのです。その結果として得た知見を以 て、平均律音楽の現代に眼を移し、古くて新しい音楽創造に向かって、不動の橋脚たり 得ることこそ、これからの課題です。
 あの古典楽派の爛熟期に輩出した楽聖たちに勝るとも劣らない、天才達の出現を心よ り願って、本篇を終わらせていただきます。
                                        佃 清風


東洋樂理序説(基本編)
(IE バージョン5.0以上でご覧ください)