U 合竹の多調性

 さあそれでは、管弦楽曲『越天楽』の旋律音の一つ一つに対応されて、悠久の時を伝 承されてきた、伝統的笙の合竹の実態を、解析してみることにしましょう。

 これまでの東アジアの音楽理論は、文芸的修辞法が主流で、楽器論もまたパート別に、 全く異質な切り口から考察されてきたところから、楽理としても著しく体系性を欠き、謎 が余りにも多すぎる嫌いがあります。

 前節の調号の謎などは、伝統的楽理の隠微な部分の代表的露頭ケ所と見て良いでしょ う。

 これまでに本講では、そのひとつ一つに普遍的楽理のメスを入れ、白日の下にその結 果を見て参りました。こうした体験を通した知見の積み重ねで、この山を越えることが 出来るかどうか、それは本講座の中でも、最重要な岐路に立ったと言えます。

 笙という氣鳴楽器は、一基同時発音の多声併行楽器です。また雅楽の雅楽たる本質は、 笙の響鳴を抜きにしてあり得ないわけです。洋楽の楽理の本質は、対位と和声理論にあ るといわれていますが、東アジアの音楽の中で、その対照的奏楽を上げれば、まさに笙 の合竹と言えるわけです。

 従って本講座の要衝は、確実に本節にあると言って間違いありません。

 学習者諸賢とともに、ここに有史以来の局面を迎えたことが、もう一つの音楽維新元 年としたいものです。

 さて本講の第六項の第三章でも、俎上に載せてきましたが、合竹の多声音については、 体験的成りゆきとしての多調性、と言うことです。これは現代音楽用語の多調とか複調 とか言われている、内容と動機的に大きな違いがあります。その違いを知りながら、敢 えて多調性としてその概念を曖昧な用語として、濫用してきた次第です。その都度どの 程度のご納得を得ていたものか、内心忸怩たる思いを隠して、論述の次第によって、少 しく煩瑣性に堪え得るべき、理解力を必要としたからです。どうか暫時の辛抱を、心か ら願ってやみません。本節さえ過ぎれば、まさに大病に良薬の譬え通りとなることを、確 信しております。

 それでは先ず多調(Poritonal )について、国際常識的に簡単な共通認識を、図っておきたいと思います。

 多調(複調)とは《現代音楽における一手法のことで、一つの楽曲進行の中で、同時 進行するパート別に異なった調性を用いながら、全体的な統一を意図するもので、通常 は2種類の調性を使用する場合が多い。》と言うことです。

 筆者もこれまでの作編曲体験の中で、しばしば試みたことがあります。特に楽曲の始 まりや終止楽節にこれを用いると、その効果が大きいものです。

 たとえば旋律楽部の主音を中心とした和声の延長持続進行に平行して、和声的リズム 進行する複数のセクションで、主和音(T)から上属和音(D)に移って、再び主和音 (T)に戻って同調させて楽曲を終わると言う、意図的多調終止の手法です。

 これはまた関係近親調からなる多調の一例ですが、その他複合調的多調を含めて、す べて意図的な手法と言うわけですが、わが国の伝統音楽の多調とは、能楽の能管のそれ や、雅楽の合竹などで、その解説書等で屡々接する多調性とは、総てその本質は、無意 図的と言って間違いないようです。敢えてその動機性を問えば、歴史的美意識の継承と 言う壁に突き当たってしまいます。

 換言すれば、どうにも説明つかない曲態や曲調に対して濫用される、用語的隠れ蓑と しか思えません。またその情報を承けた側も、半可通よろしく納得したかのように、思 考停止のままで今日に至った、とも言えます。

 ともあれ伝統とか正統とか、専門分野の持つ一般的信憑性を含む、誤った潜在意識を 払拭するために、多くの紙面を要して参りました。学習者諸賢の堅忍不抜を信じて、本 題に移ります。

 前節で曲調を類推した譜表上部のTP記号は、その小楽句及び小節の旋律を支配する、 または支配的音階機能(美意識)から形成化した旋律と、考えておいていただきたいの です。

 だとすれば、その同じ旋律音に対応された合竹と、TP記号とはなんらかの整合性、も しくは複合調的関係性が存在してしかるべきです。前にも申し上げた通り、合竹を意識 しないTP記号であればこそ、楽理と体験的美意識の遭遇として、その意義は多様にわ たって大きいと言えるものです。

 そこで先ず、無意図同志を照合し、相違点と整合性の考察から、段階的に検討を進め ることにします。

 前節の課題曲『越天楽』の全曲を通して、類推された4種類の支配的五音階の曲調を 選択順に、各曲調における下三和音方式に従って、順列譜式に整理したものが、譜例(1 43)の(イ)から(ニ)までの分散音組織です。

[譜例・143]

下 和 音 順 列 譜

〔譜例(139)の解析譜式と照合を繰り返し、検討して下さい。〕

[譜例・144]

笙 の 合 竹 分 析 譜 図

 譜例(144)の(A)から(E)まで5段譜図列�@のコーナーは『越天楽』の奏楽 中に用いられた合竹を、吹奏順に示した多声譜です。各多声の前に記された鍵括弧の中 の符頭は、各合竹が対応された旋律音です。(D)段の g' 以外は、総て記譜音よりオクターブ下の音です。そしてその�Aは、�@の合竹の分解譜図で、上下または中間重複の 形式で、二つの下三または四和音の集合組織が �@ の合竹であること示したものです。さらに各三和音譜表上に記された分数式は、和音の転回や隔散によって形成した、和音 形態を図式に示したもので、たとえば(A)の �A の2種の形態では、Eケ2.5分のfis と読み、その構造はEを起音とした下三和音の中、fis を最上音とした二度五度関係の形態をなしていると言う記号です。つまり下和音形態の略式記号とお考え下さい。

 続くコーナーマークの  は、 に分解された二つの下三和音の基本形態の成立順に分 散した、下行音列式です。そしてその譜表上の機能名は、譜例(143)の各曲調を主 調とした和音的機能を示したものです。

 それでは改めて、実際楽曲を対象として、譜例(143)の4種の下和音順列譜式と 譜例(144)の5種の合竹分析譜図との関係が、どうなっているか。つまりわが国で 千年以上の伝統を持った合竹と、本講で提案した五音階曲調の推移と、共通旋律を鼎と して、三者の総てに符合した場合を整合、一者でも無理があった場合は適合、そして関 係性は認められる牽強まではゆかなくとも、付会はしている程度ならば適応、三者のど こにも適応していない合竹には背反と言う、以上四段階の評価を与えたいと思います。

 まず『越天楽』の A 楽句1Bの合竹は、旋律音 d" に対応した です。そして同小節の曲調は、A・TP�となっています。この凡は�Aに分解された二つの下三和音の 集合による6声構造と見做す事が出来ます。(E   +D   )また�Aの2和音は、 �B の二つの下和音の組織基本形の、転回形であることが判ります。

 つまり�AのE    は該当する曲調A・TP�の第3核音Eを起音として、〔譜例 (139)の下段を参照〕その一音飛びのH、そして同様のF i s と、完全四度音程の協和音組織でもあります。次のD   は、同曲調の第二核音Dを起音として、前者同 様の音列間隔でAとEと成立した、これもまた完全四度音程組織下和音となっています。 この二つの下三和音はA・TP�のA・E・Hを主和音(T)とすれば、前者が属和音 (D)で後者が下属和音(UD)と言う、近親関係調同志となります。しかも当合竹の小 節の旋律音は、sol (d") la(e")の二分音符で、そのまま両和音の二つの起音で構成さ れています。

 これこそまさに旋律・曲調・合竹の三者が、意図的だったかのように符合しています。 従って凡の評価は、否定できない理想的整合となりました。

 つぎの A 楽句2Bの合竹は、(B)段の一です。そしてこの合竹は C 楽句の1B にも、対応されており、その対象の旋律音は h' です。前節に従ってこれを分解すれば、�Aの三和音E   (ロ)のと四和音D    となりました。また両和音をタイで 結んだEの黒符頭は、両者共有の重複音を示した物です。

 さらに�Aの二和音は、�Bの成立基本音列式の転回形ですが、この合竹が使用される二 つの小節の異なった曲調であるE・TP�の第二中間音(導音)を起音とする下四和音とH・TP�の第二核音を起音とする下三和音と言うことが、判ったわけです。(ロ)の 曲調の導和音(L)と、(ハ)の曲調の下属和音(UD)と言う、複合関係調から構成さ れた多調和音が、合竹の一であると解析された次第です。

 そしてこの合竹一が対応された小節の、旋律音は H - A の2音から構成され、複合両和音の中間に、相関相互に存在していながら、起音が適応しないところがあり、曲調 としては符合、旋律としては付会となって、その評価としては適合と言わざるを得ませ ん。

 以下の3種の合竹の検索については、詳しい説明は省略いたしますので、各自で照合 し、前例に従って解明してみて下さい。

 次の(C)段は、旋律音e’’に対応された合竹乙です。楽曲の中では A' 楽句の2 小節と、 B 楽句後半の2小節、そして C の2Bと D 楽句の後の2小節で、主と して旋律的解決楽句に用いられ、合竹としての主調の役割を果たしています。評価とし ては、典型的多調構造を有し、最高位の整合と言って良いでしょう。

 続く(D)段は、旋律音g’ に対応された合竹十です。 B 楽句の2Bと D 楽句の 1Bの2カ所に用いられていますが、楽曲的にはなんらかの変奏的過程には、最も適応 した合竹と見えます。曲調、旋律、併行多声の3者が見事に符合しています。特に�Aの 二つの三和音が四度六度の形態で、洋楽で所謂四六の和音ですが、東アジアの音楽の場 合は、転調を誘発するような協和音を感じさせます。つまり一種の傾向推進力の役割を、 果たす場合が多いものです。楽曲中に用いられる楽句から見ても、的中していると言わ ざるを得ません。 

 その条件を一分も欠如していない複合多調として、その評価は整合です。

 さて最後の(E)段は、旋律音 a' に対応された合竹乞です。この合竹も前説の十と同様、或る推進力を持った、経過的多声と言えます。十の場合は一種の傾向性のそれで すが、乞は一方向性の推進力と言えます。

 (イ)のA・TP�と(ハ)H・TP�の集合も、共通音列式から成立した併行音階で す。従って楽曲の主調の属調としての機能性を、最も備えている合竹と見做すことが出 来ます。つまり旋律の解決を誘発する、併行多声と言って良いでしょう。この合竹乞も また、その評価は整合です。

 かくて『越天楽』一曲の合竹を解析してみただけで、その予想を遥かに越えた手応え に、その驚きを隠しきれません。

 確かなものとして、千年も昔の楽人たちの音律的感性の明達性を感じとることが出来 た次第です。それにしても只単に、体験的美意識を以て、これほどの明達性が得られる ものか、必ず何らかの楽理があった可能性を、強く感ぜざるを得ません。

 そのひとつの糸口として、本節の課題となった5種の合竹の、どの多声を検討しても、 全楽曲の中に出てこない音は、一つも無かったことです。

 その総ての楽曲で用いられた、全旋律音から構成されている、と言う発見でした。そ れは千年以前の発見でもあり得るわけです。

 つまり《合竹のような多声併行進行には、旋律に用いる以外の音を加えた場合、それ は奏楽進行の上に不調和を生ずる。》と言う、原楽理的体験です。すでに専門の熟達者た ちの間には、不文律として認識されていたのではなかろうか、と言うことであります。せめて口碑としても、これに関する片言雙語すら伝えられていないことは、まことに残念 なことです。

 本講がこれまでに究明して来た、発見と解析と知見のもとに、提唱した楽理としての 尺度TP記号で示した、支配的五音階は楽曲の推移する曲調が対象でした。 

 ところが合竹の選択の場合、楽曲そのものの曲調とか、調号とは全く関係なく、飽く まで旋律音のなかの一つの音を対象としていたことだけは確かなようです。従って合竹 の楽曲的推移に関しては、後述することとして、それなら何故動機と発想を異にする、T P記号の曲調と合竹との、音組織としての符合が、これほどに得られたものか、当然そ れは本講で『越天楽』の曲調推移に対して、予めその全旋律的音域を整理し、そこから の音階成立を類推し、その2種の律音階と2種の陽音階によって、旋律的進行過程を検 索したわけです。従ってこの4種の曲調の音組織の中には、旋律音以外の音の存在はあ り得なかったのです。両者が立場を変えて、旋律を対象としていた共通項が、その符合 と明達性の要因だったと言えるわけです。

 もし合竹の構成動機の中に、曲調感の推移が有ったとするならば、 A' 2小節 B  の後半の2小節や、 D 楽句最終の2小節のような合竹乙の持続は、無かったはずです。

 いずれの場合もこの1Bは乞で、そして2Bを乙に移って、完全な解決を果たすべき だったと思います。これは旋律音に対して縦の調和と、横への調和ある進行との差異に よるものでしょう。

 さて雅楽管弦に移って、その一曲目は、曲調類推と、合竹の解明を2節に別けて考察 してきましたが、これから以後の課題曲には、曲調類推と同時に合竹も検索し、譜例に 於いて、TP音列式とその下和音順列譜式を、総譜形式に整理し、残された初出の合竹 に関しては、分析譜図によって、照合しながら学習を進められますように、お願い申し あげておきます。

◆ ◆ ◆

 なおここで譜例(144)の合竹分析譜図の、コーナー�Bの譜表上に記された、二つ の和音の音階機能名について、簡単に説明を加えておきたいと思います。

 例えば(B)段の�Bの後者は、(ロ)導となっています。これには多少戸惑いを感じら れた方も、多かったと思います。洋楽の七音階でいう導音とは s i から d o へと短二度の上行の解決音を意味しますが、東アジアの五音階の場合は律音階(TP�)の短三 度、陽音階(TP�)の長二度、そして陰音階(TP�)の場合の長三度とその音程に 大きな差異があろうとも、全く関係なく第二中間音は、導音機能を持っています。

 従って導三とか導四和音と有れば、第二中間音を起音とする、下三和音や下四和音だ とご認識いただきたいと思います。

 またこの後の譜例(146)の(A)段のコーナー�Bでは、前の四和音の機能名重属と は、第一中間音を起音とした下和音のことです。これは律音階ですので、洋楽の重属(ドッ ペルド-ナント・D )と同じ事になっていますが、陰音階の場合は属音の減五度上の、所謂変 格重属となりますが、第一中間音にはその機能的性格を概念として、すべてに重属と言 う用語を用いることにしましたので、念のため申し上げておきます。