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7.久米歌『揚拍子』 古代久米氏の戦闘模擬の歌舞が、宮中の楽部に採用され、『久米歌一具』として整理さ れたものの代表的芸態の地歌です。 久米氏滅亡の後、大伴・安倍氏によってうけ継がれ、践祚大甞祭の豊明の節会の奏楽 として、行われていたと言われています。そしてこれら古代を伝える芸態や曲種は、『五 節舞』と同様に、しばらく跡絶えていましたが、文政元年(1.818)に再興され、現在で は宮内庁楽部の楽人たちによって、御即位式の際の近衛の歌舞として、演唱されること になっています。 その次第は、『久米歌合 音取』に続いて『参入音声』『揚拍子』そして和琴の音取か ら『伊麻波豫』の独唱、さらに『阿阿』『退出音声』等で終わっています。 いずれも古代は和琴の音だけで演唱されていたようですが、再興後から現在までは龍 笛・篳篥・和琴と言う器楽編成で行われています。 [譜例・110] 久 米 歌 総 合 声 域 表
譜例(110)の下段の音列表は、上段の音列表の上下の複合音程を省略して、筆者 が記入し、調性解析の便宜を計ったものです。 [譜例・111]
伝統的階音名の、一越宮から類推して、先ず譜例(111)の(イ)、D・TP�の陰 音階の成立は認められます。一応はこの曲調が基調と考え、続いてgからaそしてbま での、長二度3連続部分に、2種のDJの成立が予想できます。譜例(111)の(ロ)、 C・TP� の律とD・TP�の陽音階、さらに高音域に現れる黒譜頭のe’の部分では、 c’からd’そしてe’の長二度3連続の、転回形復合音列の潜在が見えてきます。 従って(ハ)のG・TP�の律音階と、A・TP�の陽音階の成立も、予備に考えて おく必要が感じられます。さらにまた、気がかりなのが低音に出てくる黒譜頭、as ですが、ここではそのまま上行音列を辿れば、(ニ)に示されたG・TP�と言う陰音階が 見えてきます。 以上のように『久米歌一具』、譜例(111)に示された、6種類の曲調で対応できる ものと思われます。いずれにせよ、ペンタトニックと言う4種類音階が、截然と確立さ れてなかった、感覚的旋法意識の時代のことです。旋律もまたエンゲメロディーと言う、 少数音旋律が中心の原音楽の古代のこと、瞬間的にも露頭した変化音による半端な音列 から、延長線上に音階を想定させる以外、その本質的理解は出来ないものです。これは これまでの東アジアの楽理的曖昧さとは、全く別の意義を内在していることなのです、次 の応用実習篇に移った際に、自ら氷解してくるものと、確信しています。 続いて奏楽次第の4段『伊麻波豫』の音取りに用いられる、和琴の調弦法も合わせて 検討しておきたいと思います。 [譜例・112] 久 米 歌 和 琴 の 調 弦 と 解 析
譜例(112)の(イ)が、その和琴の調弦譜図です。そして(ロ)は調弦法で示さ れた分散音階形から、解析された調性D・TP�と言う律音階とその併行陽音階のE・T P�の複合音列式です。 この曲調は、前の譜例(111)で解析された歌唱楽部の6種の調性とは、余りにも かけ離れているように思われます。音階中の3種の核音は、前者6種の核音のどれかと 共通しています。与えて言えば、このような共通核音の単音による弾奏以外には、適合 性が無いと言うことです。奪って言えば、全弦による分散アルペジオは、異和感という 響態的依りどころは、膜鳴楽器のような打器的律動の実態だった、と見れば許されたの かも知れない。恰もそれは、肘から先の二の腕全体で、ピアノの鍵盤を打ち鳴らす、現 代音楽技法にも似た、経過的効果音とも考えられるようです。 それでは、予備解析はこの位にして、本章を代表する曲調と曲趣を持つ、『揚拍子』 を課題として、本曲の解析に移ることにしましょう。 [譜例・113] 揚 拍 子( 早 揚 拍 子 ) (1) この『揚拍子』には、副題として「早揚拍子」と言う名で呼ばれていますが、速度と しての対応感覚が悠長な古代のことです。従ってこの曲に提示されている、速度記号名 のModerato は、現代音楽のそれではなく、Adagio のなかの中庸の速度だとお考え下さい。「早揚拍子」と言う名は、今日的に見てかなりゆったりしたものです。 こうして弛緩した奏楽進行に対応する、曲調の転換は、余り頻繁に行われない方が、全 体的に調和が保てます。そこでこの歌唱楽譜の上部に筆者が記入したTP記号は、曲趣 としての上記の問題を加味したものです。 譜例(113)は『揚拍子』の前段6楽句です。そしてその主調性は、譜例(111) の(イ)のD・TP�の陰音階です。 1 から 3 楽句までは、別に問題はないとしても、4 楽句の4小節から8小節までの、調性的移行について、注意するべきポイントが幾つかあります。 4 楽句の1・2・3小節は、前楽句からのD・TP�の持続された曲調は間違いないとして、続く4小節目から楽句の終わりまでの5小節間は、明らかにG・TP�に 推移されてゆく曲調が感じられますが、そうなると主調のD・TP�から下属音のG・T P�と言う、曲調的に陰音階同志の進行となり、曲調的変移効果が余り得られません。 本来その旋律は、DからCそしてDに上行する一時解決する様式は、DJの成立を感 じさせ、4小節からG・TP�の調性であった方が自然な曲調感といえます。しかしそ の前小節までの調性が、D・TP�であり陰音階の連続的移行と言う、前述のような曲 調的冗漫性を避けるために、3核音共通の中間音の移行という、所謂借用転調の方式に よるD・TP�の陽音階を4・5小節に挿入しておいて、改めて6小節目から楽句の終 わりまで持続させた方が、6小節の4拍目のAs からGに下降する派生音が、より際だって来るわけです。 またこの4・5小節に表現された、長二度下降上行は、G・TP�と言う律音階のD J部分とも見えないわけでもありませんが、そうなると律音階的曲調の強調性が感じ られ、すぐ次の6小節目から見られる、明らかな陰音階に移るには、進行的な無理が際 だって来ます。そこでこの旋律2音を、D・TP�の第二中間音と上第一核音と見た方 が、橋懸かりの中間進行の楽詞としては、曲調的性格が弱く理想的推移と感じられます。 つまり陰から陰を避けて、陰律陰より陰陽陰と言う曲調的に、截然とした変化を求めた と言うわけです。 さてもう一つのポイントは、前段の終曲部 6 楽句の5・6・7小節の終楽詞部分です。このd’からc’そして再びd’に上行する、長二度の旋律は、当然G・T P�のDJ部で、この3小節はG・TP�の曲調で持続出来ますが、前段と言う楽節の 終止感が弱まってしまいます。そこで6・7小節における上行のd’の持続部分を、主 調のD・TP�に戻った方が、仮装終止と言う、東アジアの音楽の常套的解決形にした 次第です。 このように陰音階を主調性としながらも、律音階や陽音階中間的曲調として、継続さ れ推移する傾向は、一種の多調性音楽の特徴でもあり、支配的音階としての曲調感が、意 識的に確立されていなかった、原音楽としての過渡期的現象を色濃く残していると見る ことが出来ます。 [譜例・114] 揚 拍 子 ( 早 揚 拍 子 ) (2) 前段の解決的主調の陰音階から、後段の 7 楽句はG・TP�、その5小節がC・TP�、そして次の6小節目で再びG・TP�に戻って、律音階が続きます。また5小 節目は、G・TP�でも効果的でしょう。 8 楽句の1・2小節は、G・TP�の陰音階でも持続できますが、次の3小節目か ら、装飾音のe’の本位を派生音とする、D・TP�の主調の陰音階であるところから、 陰音階の移行を避けて、借用転調方式の律音階のG・TP�を挿入して、次の主調性を 強調したわけです。そして後段の終止形も、前段の仮装終止形を繰り返すことにより、解 決効果を一層高めることにしたわけです。言葉を換えれば、この繰り返しは慣性的終止 とも言えます。
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