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(3)東洋の視点
これまで西洋の音楽観を中心に述べてきたが、ここで東洋ではどのように音楽を捉えているかについて少々ふれてみたい。 諸芸術の起源について精細な知識を得たければ、まずエジプトを見よ、といわれている。古代エジプト文明の重要性については、ここで改めて述べるまでもないが、現代文明の原点の扉を開く鍵としてのエジプト文明の存在を私達は忘れてはならないし、文明発展の羅針盤の一つとして銘記しておかなければならない。
エジプトの音楽観 エジプト文明の本質は、宗教的農業文明であると言われている。 ヘロドトス(Herodotos,BC490頃)はエジプト人は世界中で最も宗教的な民族であると言ったが、エジプト人の宗教観をぬきにして、その文明を語ることはできまい。
したがって、この観点からエジプトの芸術観を要約して見てゆくならば、エジプトにおけるあらゆる芸術は彼らの宗教心のあると結論することができよう。
さて、古代エジプトにおいて宗教音楽も世俗音楽もともに、ヒュ(Hy)と呼ばれ、象形文字では花を開いた蓮で表している。そして興味深いことには、このHyという言葉は、本来”喜び”を意味するという点である。
この語源の持つ意味は、音楽の起源、および太古時代における音楽のあり方について、非常に示唆的な要素を含んでいる。 即ち、エジプトでは音楽を決して宗教的な道具や手段ではなく、人間の自発的な喜び、言い換えるならば、生命現象の反映として捕らえているからに他ならない。
そして更に、直接音楽に結びつく感情を抽象的に表現したのではなく、”喜び”の昇華とみなしたところに注目せざるを得ない。 勿論この感情は、エジプト人の生命の根源たる太陽、レー神をはじめ、水や空気や穀物といった神々を対象にしているが、音楽を喜びの表現とした素朴な音楽観からは、当時いかにダイナミックにして生命感あふれた音楽が、行われていたかが、ふつふつと感じられるのである。
そしてこの事は、音楽が本来人類が求めていた真の役割、単なる喜怒哀楽というものではなく、喜びの表現であったということを物語ってはいないだろうか。
このエジプトの喜びの表現として、生命の表現としての音楽感は、道徳教育の手段として、或いは全人格的な教養的役割として音楽を位置付けてきた、古代ギリシャ時代、或いはまた、宗教の道具として用いた西洋音楽の音楽観とは、その本質において明らかに一線を画するものであり、西洋音楽との分岐点であると思う。
中国の音楽観 中国における音楽観は儒教を背景にした礼楽思想であろう。
これは、音楽を政治や道徳教育の手段として思考した点で、古代ギリシャの音楽観に類似している。 また音階構成の理論である三分損益法も、その思考の方向において、ピュタゴラスの音階理論と極めて接近しているのが興味深い。
元来、中国では音楽を「楽」と現しているが、この文字は、木の台の上に「白」(鼓を打つの意味)を挟んで二つの玄よう(騎鼓)が乗っていることを示したものであり、明らかに器楽から起こった発想であることが伺われる。
しかも、音楽を奏する有様(形)を写し取ることによって、文字が成り立っていることは、エジプトの発想とは全く対照的な視点に立ったものであり、音楽を形、形式の面から捉えているということが云える。
この根本的な思考を反映して、音楽は形式主義的な方向に発展し、その結果、政治上の祭礼、典礼の道具として位置づけられた。
これによって支配者や官吏は、その身分によってそれぞれの舞楽を持つに至り、それぞれの音楽はその階級の象徴として存在した。
又、一方儒教による人道的、道徳的な立場からは、音楽によって人間の精神的な涵養をはかり、それによって道徳観を養うことがその主な目的とされ、あらゆる感情を生のまま直接表現するといった音楽は避けて、一度濾過し、冷却された感情表現としての音楽が尊重されていたと思われる。
インドの音楽観
インドに於いては、音楽に相当する語は、サンスクリット語でサムギーターと云われ、声楽・器楽・舞踊を包含する語であった。 そしてインドの音楽観は中国に比べて、直観的であり、演繹的である。
例えば十三世紀のサールンガデーヴァ( Sarngadeva )は、その論文サンギータ・ラトナーカラ( Sagita-ratnakara )のなかで音楽を二つの様相に捉えている。
即ち「打たれ、或いは現された音」と「打たない、或いは現されない音」というように分け、後者は神であり、宇宙であり、森羅万象であるという捉え方である。
この考え方は、表面上、古代ギリシャの「天体の音楽観」や、中世における神授説に極めて類似するもののように見受けられるが、バラモン教、更に仏教哲学に支えられたインドの音楽観は、帰納的、客観的な立場に立脚する西洋哲学に対して、生命的、立体的な思考の方向で理論づけられている。
仏教では、音楽は宗教の手段として存在するのではなく、その中心思想たる仏への供養として存在している。
仏教の最高峰といわれる「法華経」には「かくのごときもろもろの妙音、ことごとく持って供養し、或いは歓喜の心を持って、歌唱して仏徳を頌し、乃至一小音をもってせし、皆すでに仏道を成じき」とある。
ここに説かれている仏への供養というのは、死者への葬りの意味ではない。
仏道を成じることは、人生の最高目的であり、現代的に表現すれば、最高の幸福境涯に到達すると云うことである。
仏教の種々の譬えの中で「供養」と言うことについて説かれているところを見ると、「供養」とは自分の生命の一部、財産、食物、衣服などを仏に捧げることが最大の供養であると説かれている。
そしてこの法華経の中では、妙音を供養して最高の幸福境涯に達したと説かれており、これは妙音を、我が生命の一部として捉えていることを意味する。
従ってインドにおける音楽観に於いては、音楽を我が生命、或いはその一部として捉え、そしてその音楽を自己の人生の目的と直結させるという立場で捉えているということが出来る。
日本の音楽観
日本における音楽観は他の文化と同様、中国の儒教や、インドの仏教の影響を受けている。中でも中国から輸入された様式、楽器、理論などの影響は著しい。
それが日本民族の感覚によって処理され、同化されて独自の体系をなしてきたと云えよう。それだけに音楽理論としては、インドや中国と比べて、特に独創的なものを持つに至ってはいないし、その様な積極的な姿勢を取ってこなかった。むしろ非常に自然的に音楽を享受してきたと云った方が正しいと思われる。
源氏物語には音楽を「遊び」と言った言葉で捉え、音楽は人間にとって非常に従的な存在として捉えられ、積極的な人生の喜怒哀楽の表現と云うより、儀式のための音楽、自然の有様を音によってスケッチするといった風な、いわば形式的音楽。自然描写的音楽が重んじられてきた。
この日本の音楽観を他の音楽観と対比して位置づけるならば、エジプト及びインドの音楽観は主体的・内容的・能動的な音楽観に立脚するものであり、対称的に中国、日本の音楽観は客観的・形式的・受動的な視点からの捉え方であると云えよう。
その中でも日本の音楽観は、さらに一層受動的なものであると思える。
以上東洋の音楽美学・音楽観の流れと、その傾向をごくごく大ざっぱに眺めてみたが、やはり東洋・西洋を問わず、様々な音楽観によって今日まで音楽が成り立ってきたことがわかった。
そこでこの様な音楽観をふまえた上で、これらを包含し、蘇生させる「音楽とは何か」という音楽観及び定義をはっきりさせると云うことが最重要となってきた。
いかなる視点、即ちいかなる立場・思想で音楽を捉えてゆくかと云うことであろうと思うのである。
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