(5)人間にとって音楽はなぜ必要か
 音楽と人間の生命の関係についてもう少し考えてみよう。 動物の世界には音楽はない。あるのは音響の世界であり、音楽は人間の持つ特権である。
 しかし、そうかといって、音楽は人間が生存すること自体には何の影響性をももってい ない。
 人間は音楽がなくても生きることが出来る。この点では動物と人間とは何ら代わりがな いと言える。
 それでは、なぜ、人間生活に音楽が生まれ、動物の世界には生まれなかったのだろうか。 実は、この人間と動物の違いの原因こそが、人間の人間たる所以であり、音楽の生まれる 必然性といえる。
 本来、動物の世界は、全てが生存のための極限の生命活動であり、全ての能力は生きる ための手段でしかないといってよい。
 生きるために戦い、身を保護し、集団を形成し、種族の保存をはかっている。
 動物の世界において、戦いに敗れ、或いは能力が劣ることは、即、死を意味している。 それゆえ、動物の世界は、瞬間瞬間が環境に束縛された緊張の連続であり、本能に支配さ れた生命活動の連続である。
 この様な世界に、音楽が入り込む余地は全く無いし、音楽が芽生える土壌も無い。 (よく、飼育されているペットとしての動物に、音楽を与えて成果をあげる例が紹介され るが、それは生存に関して何らの危機も無いという特殊な状況下におけるものだからであ ろう)
 したがって、人間がこれと同じ次元の生命活動による生活を営む限り、音楽は人間にと って、全く無縁であるといってよいと思う。
 例えば、戦場の最前線にあって、瞬間瞬間が死と隣り合わせの状況のもとで、音楽が介 入する余地があるだろうか。また、重病で極限の苦痛を感じている時、人間は音楽を必要 とするだろうか。
 また非常に大きな苦悩に打ちひしがれて、手も足も出ない生命状態の時、また極限の飢 餓状態に陥っている時等々、音楽は存在しうるであろうか。
 この様な生命状態の時、音楽は決して存在しえない。むしろ、この場合は音楽は障害で あり、苦痛でしかありえない。
 換言すれば、この様な生存のための極限の生命活動を越えたところから、音楽が始まる と言える。即ち生存のための本能や欲望の生命活動を克服した次元に”人間らしい”生活 、人間的な社会が展開されるのである。 生き方におけるいわゆる動物と人間の決定的な違いは”より長く生きる”だけではなく、 ”より高く生きる”という点であろうと思う。 この”より高く生きる”という一点における生命活動が、人間のあらゆる文化を生み出し た土壌であり、同時に音楽の存在する場なのである。